あるかいど72号への反響
季刊文科89号 同人雑誌季評
評者:谷村順一
認知症を患う八十九歳の母親と主人公絵里子の関係を扱った住田真理子「鳩を捨てる」 (『あるかいど』72号 滋賀県) は、昨今の文芸誌界隈でよく目にする「ケア小説」ということになろうか。「世話」ではなくなぜ「ケア」なのか、という疑問はさておき、主人公給里子は半年もの間、郊外の介護付き老人ホームに入居する母親からの「お金を盗まれてしまったの」という電話が二、三日に一度、多い時は毎日のようにかかってくることに悩まされている。追い討ちをかけるようにゴミ屋敷と化したままになっていた母親のマンションのベランダに鳩が営巣したとの苦情がはいり、絵里子は夫と鳩を駆除することになるのだが、鳩は重大な健康被害を引き起こすウイルスを媒介し、忌避剤の効果も小さく、許可なく個人が鳩を捕獲したり怪我を負わせれば鳥獣保護法違反に問われるなど、その作業は一筋縄ではいかない。それでも決死の覚悟でベランダを片付け、二匹のヒナを捕獲する場面は緊張感がみなぎり、ページを繰る手に思わず力がこもってしまうし、必死にヒナを捨てようと試みるふたりの姿はその姿が真剣であるほどどこかユーモラスでもある。ベランダに住み着き傍若無人にふるまう鳩も、認知症でありながらいまだプライドが高いままの母親も、絵里子にとってどちらも厄介な存在であることにかわりはない。もちろんこれは絵里子と鳩(ヒナ)=母親との関係が重ねられていて、のっぴきならない母娘の関係を、作者はじつにうまく描き出している。
「民主文学9月号」 同人誌評
切塗よしを「面会時間」 (『あるかいど』 72号、あるかいど、大津市)は、男女の結びつきの姿を描いている。独身で五十二歳になる市役所勤めの夏原証史は、一年前まで補償評価係長の部署にいた。だが冬に脳出血で倒れ、快復するまで九ケ月かかり、後遺症のため元の業務はこなせず、外部団体の都市整備公社の駐輪場に出向する。発病する前に誰かと約束していた気がしていた。その相手も、何を約束していたのかも思い出せない。だが妹からそれが炭谷あかりだと聞かされる。妹はさらに結婚式を直前に控えたあかりが連日、見舞いに来ていたことを知らされる。婚約者が疑念を抱いて詰め寄ると、あかりは「最後の面会時間を無為に過ごしたら、わたしは一生後悔する」と公言したともいった。
あかりは証史が四年前に補償評価係長に昇進した頃に病気休暇から復帰して来て部下になった。三十四歳で独身の彼女は細身の長身で洗練された服装で目立った。
だが周りからは、病体が多い、協調性がないなどの悪い評判しか聞こえてこなかった。実際、証史と初対面のあかりはあいさつもまともにしなかった。なのに職場でのたまたまの人間の死後についての会話に、突然のようにあかりは「人は死んだらどこにいくんですか」と口を挟んで来る。そうした会話の中ではじめて笑顔をみせる。
周りからは、笑い合える上司と部下として伸が良いと見られる。やがて互いに職場が変わり連絡もなくなる。なのにあかりの結婚式の挨拶を頼まれる。その直後に証史は倒れ、あかりが連日見舞いに来ていたのだ。
駐輪場磯貝として復帰した証史は人間ドックを受けに行った病院で車椅子に乗ったあかりに再会する。そして癌が再発したあかりは離婚したことを知る。証史はあかりが身寄りもないことを考えてともに住み入籍もしようと思う。
あかりは大好きな人と一緒になれて幸せです、と告白する。あかりはやがて癌の重度の症状におちいる。証史は「面会時間」には必ず会いに来ると約束する。
この作品は、薄幸ともいえる生きるに不器用な男女の悲恋を描いていて読みごたえがあった。命長らえて幸せになってほしいという願いの余韻に浸れる作品だった。ただ二人の関係に社会性の反映が薄く、閉じられた世界の印象で作品の広がりが弱かったのが惜しまれた。
大阪文学学校「樹林-小説同人誌評」で、72号掲載の切塗よしを「面会時間(Visiting Hours)」が評されました。評者は細見校長です。
『あるかいど』第72号掲載の切塗よしを「面会時間(Visiting Hours)」は切ない物語。主人公の「わたし」は五二歳。市役所に勤めていて、脳溢血で倒れ、いまは市役所職員のまま駐輪場の管理人をあてがわれている。病気の後遺症で、記憶に欠損があって、大事な約束を忘れている気がする。独身の「わたし」は退院後は妹夫婦のもとで暮らしている。あるとき妹からその約束の相手は「炭谷さん」ではないかと言われる。「わたし」の元の職場で部下だった「炭谷あかり」のことだ。さらに、結婚を目前に控えていた炭谷が「わたし」の病床に六日間も通い詰めだったことを妹から告げられる。「わたし」はその結婚式に祝電を打つ約束をしていたのだ。人間ドックで病院を訪れたおり「わたし」は炭谷あかりと遭遇する。彼女はわずか三ヶ月で離婚し、いまは死に至るような重い病気で入院中の身だった。「わたし」は妹夫婦の家を出て、あかりと一緒に暮らすことを考える。あかりも「わたし」と暮らすことに同意し、やがて二人は入籍する...。タイトルの「 面会時間(Visiting Hours)」はいわば天国の面会時間。作中に何度か「わたし」が天国へ面会に出かける場面が挿入されている。つまり、あかりの死が先取りされているのだが、その都度「わたし」はあかりの名前を忘れていたり、面会の理由を思いつけなかったりして「面会」はかなわない。二人はむしろ来世など存在しないということで意気投合していたのだが、やはりぎりぎりのところ私たちには来世が必要なのだ。
三田文学2022秋季号「同人雑誌評」に渡谷さんと住田さんの作品が取り上げられました。渡谷さんは、前作に引き続き「文学界」への推薦作となりました。
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